松村日記

松村Diaries

少々尖った文を書くときもあります。

馴れ合いを批判するのってどう?

皆さん、こんにちは。

最近はブログを書く事に慣れてしまい、新鮮感は失われて来ましたが、習慣化はされて来ました。

誰でも読んで!とは思いませんが、一度でも記事を面白いと思ってくれた方に、つまらないと思わせないよう頑張ります。

 

本日は"馴れ合い"と"コミュニケーション"について書きます。

馴れ合いを批判したい?

"あいつらの馴れ合いは気持ち悪いから俺はそこに入りたくない"

なーんて、カッコつけた事を言った事がある人いるんじゃないでしょうか?

僕はありますね。笑

あれは馴れ合いだと批判する事で、偉くなった気分になりますしね。

しかし一方で、"コミュニケーションは回数だ!"とインターンでは教えられ、僕自身もコミュニケーションの必要性も重々感じています。

 

そこで改めて考えて見ると、僕の中で言う"馴れ合い"と"コミュニケーション"に、明確な線引きを付けれてないな、と感じました。

正直、自分がその中にいると馴れ合いとは感じにくい所もありますよね。

はっきりと違いを言語化できないのに、"あいつらは馴れ合ってる"と批判する事は、ダサい以外何物でもないので、やめます。

絶対的な定義はないにしても、せめて自分の中では明確に答えられるようにします。

 

馴れ合いとコミュニケーション

まずは調べた事を簡単にまとめると

・慣れ合い=被害関係が一致してる者同士で行う会話やその空間のこと

・コミュニケーション=利害関係が対立する相手との調整能力

です。

僕なりに言い換えると、

褒めてただ楽しく話してれば良いのが馴れ合い

嫌な事は嫌だと、相手に上手く伝える事もできるのがコミュニケーション

かなぁ??????

と思います、まぁこれは僕が調べて思った見解ですので!

 

さぁさぁそこで、

改めて振り返って見てみると、なんとなく僕のイメージと相違はありませんでした。

 

良い事だけ言って、ヘラヘラとあまり内容もないし、面白くねー事で笑ってるのが馴れ合い(ちょっとさっきと変えてしまった笑)ですね!!

まぁこれは僕の主観なので、

前提としてあまり楽しくない、思ったことが言えない、相手に合わせてる、良いことしか良い合わない

こんな状況の組織なら、僕はあまり参加しないでおこうと思います。

 

また、当たり前ですが、自分が面白くないと感じるだけなので、馴れ合いなどという曖昧な言葉はあまり使わず、自分の中で違うと判断したらそっと違う集団に移りましょう!

以上

 

子供YouTuber

 

https://www.youtube.com/watch?v=FKMBvnHXjCM

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こんにちは!

ブログ投稿、また頑張っていきます。

皆さん、いま話題になってる子供YouTuberの動画はご覧になられたでしょうか?

彼の動画内での主張は

"学校に行きたく無いなら無理に行かなくて良い"

"先生や親の言う事を丸呑みして聞くのはおかしい"

といった感じでしょうか。

 

賛否両論という記事の見出しとは裏腹に、僕が見た限りコメント欄は圧倒的に批判だらけでしたが、皆さんどう思いましたか?

気にもならなかった方はそれでいいのですが、僕は少し興味あったので、考えてみます。

 

見るべき論点とは?

この話題を、今通っている就活サロンのフェイスブックで論じている先輩が居たので、話したのですが、批判している達が見ているポイントは

"学校に行くべきかどうか"

ですよね。

ほぼ全員が学校に通って育ったものですから、みんなが揃って学校に行かなければ行かない理由を高らかに語っていますがいますが、そんな人達が言ってる事はもう手垢まみれの言葉で重みが全くありません。

こんな時だけ教育や学校を語るなら、普段どれだけ熱心に考え行動出来てるのでしょうか?

 

ここで僕が感じたのは、

普段から何も考えてない人間がここぞとばかりに、人生の先輩を装って、人間関係や社会性云々を、小学生に偉そうに語っている気持ち悪さです。

 

では、こうやってブログで偉そうに物を語っている僕はこのYouTuberを全面支持してるのかというと、そんな事もないんですね。

ここから僕の考えを書きます。

 

結局世論が教育を作ってる

僕はこのYouTuberに関しては、あまりプラスもマイナスも感じません。

自分で決めて学校に行かないなら、それはそれで素敵と思いますが、もし親がそうするように勧めているなら、それは少し違和感は覚えます。

さらに、小学4年生という年齢から、まだまだ考えや価値観も変化すると思います。

この動画を残した事で、また学校に行きたくなった時に、足かせにならないかは少し心配です。

 

とまぁこのYouTuberの子に対する思いはこんな感じですが、ここから少し客観的に考えます。

世の中に色んな人間がいる事を考えると、別に学校のシステムが合わない人が居たって不思議ではありません。

YouTubeという手段はともかく、とにかく周りと同調させようとする今の学校教育に違和感を覚える子供が居ても良いと思います。

実際に、事なかれ主義の学校教育のあり方に疑問を呈する偉い人たちもいますしね。

しかし、結局は

ひとたび子供がレールを外れようとすると、それをひたすら攻撃する世論

なんですね。

 

僕の結論から言うと、結局子供がレールを外れる事を許そうとしない人が大半です。

それに、これは1人の先生や学校で変えられることでも無いと思います。やはり教育を変えるのは、学校の外からしか厳しいと僕は思います。

 

偉そうに聞こえた方には申し訳ないですが、まとめます。

"学校から学ぶことは多い"、これは間違いないと思います。しかし、とにかくルールを押し付け、生徒を標準化する今の教育の仕組みや、先生たちの姿勢が全て正しいとは思いません、

しかし、そこをずっと支えているのは僕たちの世論で、学校を変える前に世間の声を変えないといけないはずです。

僕自身としては、無条件に学校を批判しようせず、まずはバイトなり、ゼミなり、そして今後働く環境で、真剣に教育について考える事がたいせつなのかな、と感じました。

 

そして、手垢まみれの言葉を偉そうに言う人は改めてあまり好きではありません。

"学校では勉強以外の事を学べる"、部活では

"将来の上下関係が学べる"とかね。

そんな事言ったって響く訳ないでしょ。

1から100まで説明しろとは思いませんが、

勉強以外に何を学べて、それは何故学校じゃなきゃ行けないのか、教育者や先生にはそこまで考えて欲しいです。

 

以上

 

 

 

商品としての松村

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こんにちは!

ゴールデンウィークはそれなりに楽しく過ごしてました!

弟が属してる野球部の奮闘に刺激を受けつつ、また今日から頑張ります。

さて、今日は自己分析をする2つの理由を改めて考えると共に、 商品としての松村を考えていきます! 

 

自己分析する理由ってなんだけ?

5月に入り、周りも就活ムードが高まってきました。

僕もそろそろインターンを見ていかないといけないのですが、大半の人間は先に自己分析する必要があると思います。

(ホントに自分の全てを言語化できるなら不要です。)

まぁ僕もある程度、先輩や大人の人と話す機会を持ってるので、その目的や意味についてはある程度理解してます。

自己分析の目的は大きく2つ。

1.自己理解、意義目標の言語化

2.内定の為の、自己商品化

だと思います。

 

◉1について

何回かブログでも書きましたが、簡単に言うと自分を知るためですね。

僕にとって面白い事も、きっとこのブログを読んでくれるもっと面白い人たちにとってはくだらない事です(笑)

幸せも、価値観も、入りたい企業も、絶対解なんてなくて、自分の中にしか無いと思います。

それが分かると意義目標が明らかになるはずです。意義目標は省略しますので、また調べたりしてみてください!

◉2について

これが意外と僕はつまづきました。

例えば、僕が自己分析してる中で、

"他人に対して思いやりがある"とします。

ただしそれは、"超絶かわいい女性に対してのみ"

とする場合、そんな事は面接官に言いませんよね?

これを読んで、当たり前でしょ!っと思った方は良いのですが、意外とこれで自己嫌悪を起こす人多いと思います。

さっきの例は極端ですが 

 

"人より頑張ったことなんて..."

"努力できると言ったけど、サボる時もあるしな.."

というようなマイナスな事は、自分の中で分かってればいいと思います。

それに、仮に面接で言うとしても、もっと上手い言い回しでいいと思います。

偉そうに言うつもりもないですが、そんなに完璧な人は居ないと思うし、そこはあくまで自分という商品を売ることに徹しましょう。

爽健美茶を売る時に、おーいお茶より劣っている所は言わないし、仮に言ってもまわりくどーーく言うはずですよね(笑)

 

僕なんて自分がクズで嫌いになる事も多々ありますが、着飾った言葉で自分を装飾してるうちに、なんとなく言葉に近づいていく事もありますしね。

 

商品としての松村

まぁそれに付随して、僕と言う商品を考えます。

中、高、大と僕と関わった方は知ってると思いますが、それなりに人前に出るのが好きだし、物怖じするタイプではないです。

それに、マニュアル通りというより、なにか一工夫して目立ちたがりです。

それは一貫して変わっていないし変えるつもりも無いのですが、高校以前と大学以後で1つ変わった事があります。 

それは敢えて"苦手"な分野に身を置いてることです。

わざと苦手なITに身を置いて学ぼうと思ったのですが、やはりそれが大好きで学んでる人には勝てないし、苦手分野では100%自信を持って前に出ることも出来ないです。

 

 

とまぁ回りくどく書きましたが、ここらで僕を商品化した言い方をします。

 

僕は小学生から大学生まで、司会をしたり話し合いを進めたりと、人前に立つ機会が多かったです。

そこで工夫したり、自分色を出して人を喜ばせる事に幸せを感じます。

大学のゼミでは1番苦手なITを学び、そこでも積極的に動こうと思いましたが、上手く行かない事も多かったです。

苦手な事ほど、人一倍努力しないと、人を引っ張る事も出来ないと身をもって感じました。

今後は、自分の関心のある分野はもちろん、少し苦手な分野でも人よりも何倍もの努力を厭わず取り組んでいきます。

 

同じような事ですが、やはり就活っぽく書くほうが、自分に対しては嘘っぽく聞こえます。

でも何度も人に話すと、本当にそうだと思えてくるもんですし、就活においては僕は割り切って自分を商品として捉えます。

皆さんも、そんなに完璧じゃないでしょ?

完璧な自分をイメージするから、実際のギャップに萎えるんです。

そこは言い回しでカバーしていきましょう!

凄く長くなってしまいすみません笑笑

以上。

 

 

光る寺に行ってきました。

 

 こんにちは!

真面目なブログが遂に笑いのネタにされ始めて焦っています、松村です。

休暇中は、記事を書くより色々動きたいなぁとおもてます。

 

本日は、西野亮廣氏の個展、光る満願寺に行ってきました。

〜に行った!!的な事をブログ風に書くと、どうしてもありきたりになってしまいそうで難しいです。

今回は、素人の僕なりに良かった所や、もう少し改善できるのでは?

といった部分を考えます。

 

意識して作った世界観

まずは良い点。

これは確実に"世界観"ですね。

西野の絵本✖️寺

という微妙に感じる組み合わせが、非の打ちようのない世界観を作り出していました。

恐らく色んな要因があるとは思いますが

大きい所は

と音楽

ですね。

光による視覚的な世界観

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当たり前ですが、"世界観"というものを感じる時、恐らく視覚的な部分が1番大きいです。

そこで、僕が最近"世界観"を感じたものを考えました。

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とある奈良のバーです。

たまたま色調も似てますが、今日行った光る満願寺と共通してるのは、

"光の硬さ"

が統一されています。

柔らかい、霞むような色。

世界観と言っても様々ですが、これらから恐らく感じるのは"ファンタジー感"ですね。

現実とは乖離した"世界"を表現するには、目に飛び込む色よりも淡い、ぼんやりとした色の方が良いのかもしれませんね。

 

音楽による世界観

もう一つ印象的なのは音楽ですね。

西野氏によると、この個展のためにオリジナルの音楽を作成したらしいです。

 

世界観の代表ディズニーランド。あの場所でも、入場ゲート前の音楽が聞こえ出したタイミングから、

"あぁ、ディズニー来たなぁ"

と思う方は多いはずです。

今後もし企画やサービスをする場合も、音楽が与える影響には、十分に意識を向けたいものですね。

 

以上、光と音から感じる世界観、これは凄いとしか言いようが無かったです。

 

ゴミ箱の数と効用は比例する?

これはお寺だから仕方ないかもしれませんが、やはりゴミ箱は少ないですね。

しかし雨の中、傘とゴミを両手に持つと、上手く写真が撮れなかったり、なにかと満足度は下がってしまうと思います。

 

一方、ディズニーランドの場合はどの角度からでもゴミ箱が見えるように設計されてるみたいです。 

後はディズニーはトイレも多い。

どうでも良いように見えて、本当にない時のストレスは僕は半端ないです。

トイレとゴミ箱の数は、お客さんの効用と比例関係にあると思いましたね。笑

 

とまぁ色々偉そうに言いましたが、感想はシンプルで楽しかった、それのみです。

こんな大胆に寺をまるごと使えるのも、絵本という1つの武器を極めたからですね。

これから社会に出る立場としては、会社というブランド価値より、自分自身のスキルを磨いて松村たいき個人としての価値を1ミリでも増やす事が、"安定"した生活に繋がると思います。

 

まぁあまりおもろしろないブログでしたね笑

以上

 

 

 

コテンパの松村泰樹

みなさまこんにちは!

珍しく、失敗談(失敗とは捉えてない)と、弱音な部分を書きます。

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完全コテンパの松村たいき

タイトルから分かる通り、久々に、物凄くコテンパにされましたね。

というのも、本日からirodasと呼ばれる企業の就活講座なるものがスタートしまして、いまちょうど第1回目が終わったところなんですね。

まぁ結論から言いますと、

"その誰も知らない団体"の中でリーダーを決めよう!となりまして、手を挙げた僕は完全にしくじりましたね。

ここで肝心なのが"誰も知らない"という事です。

その中で各立候補者は1分のプレゼンを行い、投票制で決めます。

まぁ、惨敗というか、結果は振るわなかったですね。

僕の惨敗をアウトプット兼ねて紹介します。

 

ミス1.プレゼンする状況を考えてない。

ミス2.周りを見ていなかった。

ミス3.慢心があった。

 

ミス1

まずこの場では"誰も知らない"が前提です。

その場で求められるのは、直感です。

1分のスピーチの内容よりも、直感、雰囲気で人は判断します。

しかし、僕が行ったのは、

失敗経験を話し共感を得て、就活に真面目な自分を見せる

でした。

大失敗です。ストーリーなんて、どうでもいい。

背が大きい・賢そう・声がでかい

そんな感じです。これは、人を蔑んでるのではなく、僕の過ちです。

僕が行ったのは、自分という人間を知ってもらう為の演説でした。それでは無理ですね。

ただでさえ背が小さく童顔の僕が、ストーリーを売ろうとしても、確実に無理です。

状況に合わせたプレゼンが出来なかったのがミスです。

 

ミス2

ミス1とも被りますが、周りを見ていなかった。

隣に背が高くてカッコいい人、隣に少し真面目で背が小さめの男の子。

この時点で、僕はその2人とは差別化したプレゼンをするべきです。

それを全く考えていなかった。

ただ言いたい事を言う、まるでブログのように。

僕が起業して働くのならば、これでいいです。

しかし、人の評価の元働くのならば、言いたい事よりも求められていることですね。

この視点が抜け落ちてました。

ここからミス3も絡みます。

ミス3

ここで出てくるのが"慢心"ですね。

こんなに物事を考えている学生はいないから、ありのままを言えば刺さるやろ!

と、心の何処かにあったのかもしれません。

 

まとめると

慢心から周りを見るという行為が抜け落ち、周りを見てないせいで状況判断が出来なかった。 

という感じでしょうか。

まぁ反省ですね笑笑

 

得たもの、良かったこと

これはシンプルにメンバーが素晴らしいですね。こんなに真剣なメンバーばかりとは思ってませんでした。リーダーに選ばれた人含め、まだまだ知らない人だらけですが、モチベーションが上がりました。

後は、失敗経験を積めたことですね。

別に綺麗事でもなく、就活の本番までは、何回でも失敗して良いと思ってます。

僕は今まで、失敗を避けてきました。

ここらで出来ない自分を認めつつ、誰よりも思考して動いていきます。

 

今日は反省ですね。

一日2記事書いてしまいました。

以上

 

 

 

超天才と天才と凡人とバカ

皆さまこんにちは。

とりあえず100記事書くまでは、毎日投稿を目指している松村です。

少し熱は冷めましたが、お笑い芸人のキングコング西野氏による、近畿大学卒業生スピーチのニュースを目にしたでしょうか?

ツイッターでも論争が起こってますね。

別にそれがどうこう言いたい訳ではないのですが、そこから超天才と天才と凡人とバカ 

が見えてくるので、少し書きます。

今日は長くなりますよ笑

 

時計の針の話は深い?

この書き方だと、僕があらゆる理屈を使って西野を正当化しよう!って記事に見えますが、そうではないので最後まで読んでね。

数ある批判ツイートで1番多いのが、

"あんな時計の針と人生を照らし合わせるあたり、全然深くないし嘘くさい"

と言う趣旨の発言でしょうか?

僕の結論からいうと

 

深くないよ!笑

そうです、その人たちの言う通り深くはないでしょ笑

 

時計の針が重ならない時期がある"ように"

努力が認められない時期がある

要するに、努力はすぐに実りませんよいう話の例え話ですね。

別に深くは無いし、例えとしてはまぁまぁなのかな?って思います。

では、ここから深掘りして僕の考えを書きます。

天才は本質を見る?

まず、超天才を飛ばして、天才について。

※今から書く天才像に僕の姿が当てはまる部分もありますが、僕は書籍を読んだりサロンにも入ってるので、ノーカウントしてください。

今回の騒動で、僕が天才だと思うのは、この話題の本質が見えている人です。

では本質はなにか?

 

1.あの時計の話は最後の締めくくりの"喩え話"と言うことを理解し、そこを切り取り是非を語るのがずれてる事。

 

2.近大という場所でスピーチする時点で、彼が新作の絵本のプロモーションも兼ねてるに違いない事。

 

1.に関しては言うまでもなく、そりゃ最後の例え話切り取りゃ、いろんな見解は出来ますね。

答えが1つに収まらない事は明確です。

 

2.に関しては、天才云々関係なく、西野氏の本を読んだかどうかかも知れません。

近大の卒業式という場所を選んだ時点で、彼に何も戦略がない訳がない笑

そこで時計ときたら、新作の絵本のプロモーションも兼ねてると気づきますね。

時計の議論が起これば起こるほど、彼の絵本の宣伝になるんですね。

 

以上で

"物事の本質を見ようとする人"は天才だと思います。

僕は普段はむりですが、西野への知識が先行してたので、可能でした。

凡人は感動する

凡人というより、素直な人。

僕も普段は素直ですよ!笑笑 

これは、時計のメッセージがまるで魔法のように見えてしまう人ですね。

ディズニーランドに年5回以上行き、毎度夢と魔法を貰って帰ってくる人間です。

この例はちょっとふざけましたが、僕もこんな感じですね。

まぁ普通の人です。

超天才とバカはむずい?

ここでいうバカはポジション取りたがりのやつです。

今回の話でいうと、

"あーゆー話があるから宗教がはびこる"

"俺にはよく分からんけど。。"

的な

大した論理も持たないのにしたり顔で流行りを切るやつ

です。

そーゆーやつは、何故宗教チックに感じるかの理論も大してないし、"俺には"理解できないという、ただ冷めたようなポジションを演じたい芸人ですね。

一見理解できないと自分を下げてるように見せて、自分は世間の感覚とずれてると言いたいんでしょうね。

まぁこれも僕にも当てはまる部分があって、気に入らない何かを否定する時には、それなりの理論をぶら下げたいものです。

じゃないと、世間と逆の道を行きたいだけの中身が無い人になりますね。

 

一方で超天才。

今回の件でいうと、何となくだが西野の裏の狙いが見え、近大の卒業式でスピーチをするというそのしたたかさを何となく捉え、好きになれない人です。

"なんとなく"本質が見える人。

これは超天才と思います。

スポーツにしても、"なんとなく"するべき練習が分かるし、数学も"なんとなく"で解ける。

本質は何だろう?と思考する事なく、感覚で見るべきポイントが分かるし、効率も要領も良い。

言ってる事はバカと似てるかも知れませんが、深さが違いますね。

以上で僕が思う

超天才と天才と凡人とバカ  

でした笑笑

皆さんも、天才のふりをしているバカには気をつけて、素直な心を持ちましょうね笑笑

 

 

この記事は僕の主観にまみれまくっているので、どっかに当てはまってしまった方、気にせずに!

以上

人生の目的、目標

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このテーマは、僕がいつも"凄いな〜"と思っている友達から送られてきました。

壮大すぎますね。笑

あらかじめ断っておくと、僕がまだ論じられるテーマではありません笑

 

ただ、これもテーマを頂いたので、今の僕が考えられる限り考えます。

恐らく、この"人生の目的"において、鍵になるのが"お金"と"幸せ"だと思います。

少し難しいですが考えていきます。

※目標→目先で達成したいもの。

  目的→最終的に到達したいところ。

  目的を叶えるために目標を定める。

 

 

ボトムアップ式で考えろ!

いつかの記事でも書きましたが、目標設定する際、意義目標から考える方がモチベーション面でも望ましいと考えています。

意義目標がわからない人は

ぜひ

自己分析と僕と頭いいパリピ - 松村Diaries

を参考に。

 

人生の目的、即ち"なんのために生きるか"

は意義目標の1番上に位置すると思います。

結論、これがカッチリ理解できている人は、その意義目標を達成するために必要な事だけすればいいんですね。

この考え方も、前の記事で書きました。

 

しかし多くの人は、この人生レベルの意義目的は、考え尽くさないと出てこないと思いますし、自分で経験する事で見えるものもあるかと思います。僕もはっきりは分かりません。

このことから、

人生の目的を考えるためには、ボトムアップの思考で考える事をオススメします。

....

なにそれ?

読むのを止めないでくださいね。

 

ボトムアップ式=目先の目標から、徐々に高次の目標を考える

的な事です。

具体例を出します。

 

トイック800点取る

↓何故?

大企業に入るため。

↓何故?

"お金"が欲しい、安定したお金(生活)が欲しい。

↓何故?

安定したお金を得て、年に何回も旅行に行ったりする事が自分の幸せだから。

 

 

的なイメージです。

だいたいイメージつきましたよね??

徐々に目標を遠くのものにしていくイメージです。

恐らく、人生の目的=自分の幸せと大きく結びつくので、どうすれば幸せになるのかをボトムアップ式で考えると、少し見えてくるのではないでしょうか?

 

本当は、この意義目標から考えるトップダウン式を取ることで、意思決定しやすいのですが...

人生レベルになると難しいですね..

 

さらに言うと、"お金を得るため"という答えが出てきても、止めないことが大切と思います。

お金を得るためというのは、人生レベルの目的にはなってません。

何故お金を得たいのか、お金をどう使いたいのか、お金さえあればそれで終わりなのか、

そこまで考えてみるべきだと思います。

お金は持っているだけでは仕方ないので、その使い道、何故お金が欲しいのかもペアで考えてみると、自分の価値観が透けて見えるかもですね。

 

人生の目的や目標は変化する?

就活で、自分なりの人生の目的が完成したとして、社会に出た後に、それが変化するのは悪い事なのでしょうか?

僕は、変化しても良いと思ってます。

ただし、その根底にある価値観には注意しながら。

例えば、人を幸せにしたい!と目標を定めてた人が、人を蔑むような目標に変わった場合、根底の価値観になにか異変が生じているので、少し立ち止まって考えるべきかと思います。

しかし、細かい言い方や、表面的なものが変化しても、その根底の価値観がしっかりしていれば、人生レベルの目的も変化して良いと思います。

なんで変わったのか、どう変わったのか、これさえ意識してれば問題ないと思います!

まぁ元より、人生レベルの目的は抽象的になってしまうので、あまり変化はしないかもですね。

 

散々長くなりました。

こんな難しいテーマを、プログラミングも大して出来ない平凡学生が論じるのは限界がありました。

以上。

 

追加

なにやら、高校時代の先輩がブログを見てくれてるらしいです。

随分と褒めてくださってましたが、高校時代の僕からも見えるように、無条件で努力し続けられるタイプではないです笑

少しでも、高校時代よりマシになれるよう頑張ります。