松村日記

松村Diaries

少々尖った文を書くときもあります。

超天才と天才と凡人とバカ

皆さまこんにちは。

とりあえず100記事書くまでは、毎日投稿を目指している松村です。

少し熱は冷めましたが、お笑い芸人のキングコング西野氏による、近畿大学卒業生スピーチのニュースを目にしたでしょうか?

ツイッターでも論争が起こってますね。

別にそれがどうこう言いたい訳ではないのですが、そこから超天才と天才と凡人とバカ 

が見えてくるので、少し書きます。

今日は長くなりますよ笑

 

時計の針の話は深い?

この書き方だと、僕があらゆる理屈を使って西野を正当化しよう!って記事に見えますが、そうではないので最後まで読んでね。

数ある批判ツイートで1番多いのが、

"あんな時計の針と人生を照らし合わせるあたり、全然深くないし嘘くさい"

と言う趣旨の発言でしょうか?

僕の結論からいうと

 

深くないよ!笑

そうです、その人たちの言う通り深くはないでしょ笑

 

時計の針が重ならない時期がある"ように"

努力が認められない時期がある

要するに、努力はすぐに実りませんよいう話の例え話ですね。

別に深くは無いし、例えとしてはまぁまぁなのかな?って思います。

では、ここから深掘りして僕の考えを書きます。

天才は本質を見る?

まず、超天才を飛ばして、天才について。

※今から書く天才像に僕の姿が当てはまる部分もありますが、僕は書籍を読んだりサロンにも入ってるので、ノーカウントしてください。

今回の騒動で、僕が天才だと思うのは、この話題の本質が見えている人です。

では本質はなにか?

 

1.あの時計の話は最後の締めくくりの"喩え話"と言うことを理解し、そこを切り取り是非を語るのがずれてる事。

 

2.近大という場所でスピーチする時点で、彼が新作の絵本のプロモーションも兼ねてるに違いない事。

 

1.に関しては言うまでもなく、そりゃ最後の例え話切り取りゃ、いろんな見解は出来ますね。

答えが1つに収まらない事は明確です。

 

2.に関しては、天才云々関係なく、西野氏の本を読んだかどうかかも知れません。

近大の卒業式という場所を選んだ時点で、彼に何も戦略がない訳がない笑

そこで時計ときたら、新作の絵本のプロモーションも兼ねてると気づきますね。

時計の議論が起これば起こるほど、彼の絵本の宣伝になるんですね。

 

以上で

"物事の本質を見ようとする人"は天才だと思います。

僕は普段はむりですが、西野への知識が先行してたので、可能でした。

凡人は感動する

凡人というより、素直な人。

僕も普段は素直ですよ!笑笑 

これは、時計のメッセージがまるで魔法のように見えてしまう人ですね。

ディズニーランドに年5回以上行き、毎度夢と魔法を貰って帰ってくる人間です。

この例はちょっとふざけましたが、僕もこんな感じですね。

まぁ普通の人です。

超天才とバカはむずい?

ここでいうバカはポジション取りたがりのやつです。

今回の話でいうと、

"あーゆー話があるから宗教がはびこる"

"俺にはよく分からんけど。。"

的な

大した論理も持たないのにしたり顔で流行りを切るやつ

です。

そーゆーやつは、何故宗教チックに感じるかの理論も大してないし、"俺には"理解できないという、ただ冷めたようなポジションを演じたい芸人ですね。

一見理解できないと自分を下げてるように見せて、自分は世間の感覚とずれてると言いたいんでしょうね。

まぁこれも僕にも当てはまる部分があって、気に入らない何かを否定する時には、それなりの理論をぶら下げたいものです。

じゃないと、世間と逆の道を行きたいだけの中身が無い人になりますね。

 

一方で超天才。

今回の件でいうと、何となくだが西野の裏の狙いが見え、近大の卒業式でスピーチをするというそのしたたかさを何となく捉え、好きになれない人です。

"なんとなく"本質が見える人。

これは超天才と思います。

スポーツにしても、"なんとなく"するべき練習が分かるし、数学も"なんとなく"で解ける。

本質は何だろう?と思考する事なく、感覚で見るべきポイントが分かるし、効率も要領も良い。

言ってる事はバカと似てるかも知れませんが、深さが違いますね。

以上で僕が思う

超天才と天才と凡人とバカ  

でした笑笑

皆さんも、天才のふりをしているバカには気をつけて、素直な心を持ちましょうね笑笑

 

 

この記事は僕の主観にまみれまくっているので、どっかに当てはまってしまった方、気にせずに!

以上